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    1: 2018/12/30(日) 09:02:35.26 ID:CAP_USER9
    滝沢秀明の引退まで残り数日を切った。今年9月、タッキー&翼が解散していたことが発表され、同時に、滝沢秀明は年内で芸能活動を引退しプロデュース業や後輩の育成に専念すると表明。
    今井翼は、芸能界からは引退しないもののジャニーズ事務所を退社し、今後の予定は白紙だという。

    引退までのカウントダウンが始まった今月、滝沢はテレビ出演や雑誌の単独インタビューなど、積極的にメディア露出してきた。
    9日には、ジャニーズJr.黄金期を象徴する伝説の番組『8時だJ』が、
    『超豪華!! 最初で最後の大同窓会!8時だJ』(テレビ朝日系)として一夜限りの復活を遂げる。

    そして28日には、滝沢が『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)に出演し、解散・引退の真相、さらに「自分の中で封印していた時代」である極貧の幼少期についても語るという。まさに滝沢祭りの2日間だ。

    だが、滝沢秀明が自身の幼少期について明かすのはこれが初めてではない。
    ジャニーズアイドルとして華麗な経歴を持つ滝沢が、実は複雑な家庭環境に育っていることは、一般的にはあまり知られていないかもしれないが、ファンの間ではずっと前から有名な話だ。
    なぜならば、2006年の主演舞台「One! -the history of Tackey-」は滝沢の半生を描いた自叙伝的ストーリーだったからである。

    当時、舞台「One! -the history of Tackey-」の制作発表で、企画・構成・総合演出を手掛けたジャニー喜多川氏から、滝沢が病院のベンチで生まれたことなどが明かされた。
    東京・八王子で3人兄弟の末っ子として生まれた滝沢は、父親から「わかりやすい愛情」を受けた記憶はなく、幼稚園児の頃に両親が離婚すると母親の元で育てられた。
    経済的には恵まれず、母親は食費を切り詰めるべく餃子の具にツナを使い、滝沢はそれを普通の餃子だと思っていたという。

    母親が再婚して滝沢姓になったが新しい家庭環境になじめず苦労したことなども明かされた。
    ファンやメディアから「タッキー」という愛称で親しまれる滝沢だが、新しい苗字を最初から受け入れていたわけではないようだ。

    一刻も早くこの生活を抜け出したいと思っていた滝沢は、中学生になると「どうやったら子どもも働けるんだろう」と考え、ジャニーズ事務所のオーディションを受けて合格。
    本人としては、ジャニーズに入りたいわけでもアイドルになりたいわけでもなく、「どこでもよかった」のだというが、
    結果的にジャニーズ事務所にとっては滝沢がこのときオーディションを受けてくれたことで、ジャニーズ黄金期という一時代を築け、その後の面々の躍進につながったのだから、感謝があるだろう。
    番組では、滝沢の後輩である松本潤、山下智久、生田斗真、北山宏光(Kis-My-Ft2)らのほか、滝沢の母親も息子について語るという。

    また、今年7月には、KEN☆Tackeyのユニットを組む三宅健とともに『櫻井・有吉THE夜会』(TBS系)に出演した滝沢自身が、三宅に宛てた手紙の中で「僕には兄がいました。
    数年前に亡くなってしまいました」と明かしていた。滝沢の光と影が明かされる『金スマ』はファンならずとも必見となるだろう。

    ジャニーズ事務所に入所すると13歳の若さで瞬く間に人気を獲得し、ジャニーズJr.の黄金期を牽引した滝沢秀明。
    Jr.でありながら単独でドラマ主演を務めるなど、Jr.時代から「特別な存在」だった。
    その引退を惜しむ声は今なお根強いが、これからは裏方としてジャニーズ事務所を引っ張っていく。
    今年、コンプライアンスの点などから様々な問題点を指摘されてきたジャニーズ事務所だが、エンタメ性は随一。
    2019年は会社として衿を正すとともに、滝沢がジャニー喜多川氏の後継者として、芸能界を盛り上げてほしい。

    http://dailynewsonline.jp/article/1630590/
    2018.12.29 14:05 wezzy

    【滝沢秀明の不遇幼少期、働けるなら「どこでも良かった」】の続きを読む

    1: 2018/12/29(土) 17:05:38.69
    滝沢秀明が28日、「金スマSP」に出演。幼いころに両親が離婚し、極貧生活を送ったことを明かした。

    年内でタレントを引退し、演出家に転向する滝沢。「自分にとっては封印してた過去」を公にした。

    両親の離婚後、極貧生活になり、「お金もないので鉛筆や消しゴムも買えなかったので、学校(教室)で拾って、自分のものとして使っていた」と回顧。
    着る物にも困り、冬でもタンクトップに短パンという格好だったことも明かされた。

    滝沢は「リアルに食べるものもなかった。物も買えなかったですし」と振り返った。

    そんな生活から抜け出すため、自立の道を探した。
    最初は大好きなプロレスの道に入り、プロレスラーになることも考えたが、中1当時で143センチ、33キロと小さかったため、断念。
    姉がKinKi Kidsの大ファンだったことから、13歳でジャニーズのオーディションを受けた。

    「どこでも良かったんですよね。(この生活から抜け出すために)何かやらなきゃ、と思って、ジャニーズにたどりついた」と明かした。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00000126-dal-ent

    【【悲報】滝沢秀明さん「本当に貧乏で、消しゴムや鉛筆は拾ったものを使った。兎に角稼ぎたくてジャニに入った」】の続きを読む

    1: 2017/11/14(火) 08:50:15.79 ID:CAP_USER9
    11月2日放送の「櫻井・有吉THE夜会」(TBS系)に、関ジャニ∞の横山裕、渋谷すばる、村上信五がゲスト出演。
    ジャニーズ事務所の入所半年先輩で、MCである嵐・櫻井翔も初耳という壮絶すぎる過去を打ち明けた。

    3人は1996年に同事務所に入所。関西在住であることから、関西ジャニーズJr.の一員となったが、その道のりは決して平坦ではなかった。

    「母一人子一人の横山は中学卒業後高校に進学せず、建設会社へ入社。
    作業着のニッカポッカ姿でレッスンに通っていた。村上は遊園地の急流滑りのもぎりのバイト。
    渋谷は日雇いの荷物運びを志願するも、『小さすぎてダメ』と断られ、2000円もらって引き上げるなどそれぞれが貧しさから2足のワラジを履く生活だった」(テレビ誌記者)

    99年に、東京で情報番組のレギュラー出演が決まり、東京へ。
    大阪での仕事がないため、事務所から渡された新幹線のチケットを金券ショップに持ち込み、現金化、生活費に充てた。
    横山は相葉雅紀の実家へ転がり込み、村上らは二宮和也の実家で居候していたという。
    だが、2001年、番組が終了すると、生活は困窮を極めた。芸能生活は開店休業状態に突入。
    唯一の資金源だった新幹線チケット代金もなくなった。

    「横山は朝からパチンコ店に入り浸り、パチプロ生活。渋谷は一人暮らしをしていた滝沢秀明宅へ。
    映像の編集に夢中なタッキーの邪魔をしないよう日がな一日部屋でぼーっとしていた。
    腹が減ってもタッキーから食事に誘われるまで我慢の日々だったそうです。
    村上は24時間の漫画喫茶が出始めた頃、ネカフェ難民の走りだったことを告白。
    個室なし、シャワーなし、仕切りなし、ないないづくしの店で寝泊まりする日々を過ごした」(芸能ライター)

    MCの有吉弘行が「日曜お昼のドキュメンタリーみたい。すごいね、よくここまで来たね。えらいよ」
    と目を丸くするほどの過去は、02年の関ジャニ∞結成まで続いた。
    04年、CDデビューしてもなお、ステージ衣装やコンサートのセットは売れている先輩のお下がりしか使わせてもらえなかったそうだ。
    それが今や9作連続オリコンチャート1位を獲得。
    レギュラー番組10本を抱え、5大ドームツアー140万人を動員する人気グループになるとは。
    「石にかじりついても」の強い思いが道を切り開いたといえよう。

    http://news.livedoor.com/article/detail/13886807/
    2017年11月14日 5時58分 アサ芸プラス

    【関ジャニ∞の壮絶すぎる「極貧過去」がやばすぎると話題に】の続きを読む

    1: 2016/07/06(水) 22:19:30.400 ID:gu4SOtx4p
    わかる
    今の子供はネットとかで無料の読んでたり図書館にも置かれ出してるかもしれないが
    自分が子供の頃はそういうの全然なかったし買わないと読めなかった

    【【SMAP】中居「漫画って、お金持ちの子供しか読めないよね。貧乏の家の子供は買ってもらえないから読めなかった」】の続きを読む

    1: 2015/11/25(水) 13:17:34.81 ID:CAP_USER*.net
    11月21日に放送された人気ラジオ番組『中居正広のSome girl' SMAP』(ニッポン放送)で、
    SMAP・中居正広が「幼少期の遊び」についてコメントし、視聴者の間で話題となっている。

    この日、子供の頃はそれほどプレゼントをもらった経験がないと語った中居は、その流れで、
    「もうホントちっちゃい頃憧れてたね。あれが欲しくて」と、鉄道をモチーフとした有名玩具・プラレールへの想いを語り始めると、
    「あのね、あれってド頭のさ、進行方向に向かうド頭のやつがあるでしょ?そこに電池入れるのさ。
    その後に、なんかこう、鍵みたいなので繋げていくんだよね。で、一番ケツがさ、また尻尾になっててさ。
    それが2両編成だったり、3両編成だったり。それをね、買ってもらったことあたったのよ、ちっちゃい頃。
    でもド頭のやつと、レールになるブルーが、あれね、たぶんね、25cmぐらいあるのかな。
    カーブのやつとストレートのやつ。ストレートのやつ、2本しか買ってくれなかったのよ」と、
    親からのプレゼントで念願のプラレールを手に入れたものの、自由に走りまわるのに必要なほどのレールまでは買ってもらえなかったことを告白。
    そうした上で、「...で、結局、レールのないところを、1両編成のを床で走らせるっていう。
    電池が切れても電池は買ってもらえないから、しょっぱなについてる電池でしのがなくちゃいけないっていう。
    だって1両編成のレール2本だからね。ピッて押したら、うーって言ったらあっという間についちゃうからね。
    レールに乗っかった勢いで、地上を徘徊するのを見て楽しんでたわ」と、自分なりの遊び方を見出して、楽しんでいた少年時代について明かした。

    こうした中居のプラレールの遊びについて、これを聞いた同世代のリスナーからは「共感できるし泣けてくる」
    「中居君の人柄がよくわかるわ」「やっぱおもちゃって与えすぎない方がいい子に育つんだな」
    「こういう貧乏体験をイヤミなく話せるところが中居君らしさだな」「洗濯ばさみで遊ぶの俺もやったわwすげえ懐かしいw」
    「中居君だけは"庶民派"ではなく本当の庶民アイドルよな。好感持てるわ」といった声があがった。

    決して満足とは言えない環境であったからこそ、自分なりに工夫し、洗濯ばさみを組み合わせてつくる飛行機とのコラボなどで楽しみを見出したという中居。
    もしかするとしばしばネット上でも称賛される独特の深みを持った発言を生む中居の人柄は、
    こうした生い立ちの中で、時間をかけて徐々に形成されていったものなのかもしれない。

    https://youtu.be/g42owLB3ZYA



    ■参照リンク
    ニッポン放送 公式サイト(『中居正広のSome girl' SMAP』は毎週土曜23時から放送)
    1242.com

    http://netallica.yahoo.co.jp/news/20151125-00050747-aol
    2015/11/25 12:00AOLニュース

    【【SMAP】中居正広が語った幼少期の秘話に「めっちゃ泣けてくる」「中居君の人柄がよくわかる」と絶賛の声】の続きを読む

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